ロシアから見た対米・対中関係 “地球温暖化 燃えるシベリア、溶ける北極海での中露対立”との指摘も, 台湾のWHOオブザーバー参加を求める米・欧州からの要請はあるものの、固い中国の姿勢, イラク  イラン・シーア派民兵組織の影響力排除を目指すカディミ首相 デモ隊とも共通利害, 南アフリカ  効果がなかった厳しいロックダウン 犠牲は貧困黒人層に コロナで拡大する社会の歪, 東アフリカ・タンザニア 現職大統領圧勝・野党は不正批判 マラウイ「歴史的再選挙」アメリカは・・・. (Iran's Power Rooted in Shia Ties), 米国のネオコンの方は、イランと対を成すかのように、隠れ多極主義的、ユダヤ的に奥義が深い(親イスラエルのふりをした反イスラエル)。ネオコンは、イランのスパイだったチャラビを、スパイと知りながらネオコンの仲間に入れ、チャラビがフセイン政権転覆後のイラクをイラン寄りにしていくエージェントとして活躍することを黙認したふしもある。スンニ派との和解を破棄してシーア派にスンニ派退治をやらせたカリルザド(アフガン系米国人)も、ネオコンと近い存在だ。 (Displaced Iraqis: Shia family's story), 自分が「良心派」であることを示すため、これらの戦争犯罪を許すな、と免罪符的に叫ぶ必要があるかもしれないのだが、私はここで思考を停止して良心派になるよりも、イラクがシーア派主導の国になることの意味を考えたい。これは「シーア派イスラム教徒」というものが初めて形成された西暦635年(イスラム軍がササン朝ペルシャを破りバグダッド陥落)以来、約1400年ぶりに、初めてイラクが、多数派のシーア派が統治する国になるという「民主化」を達成したということである。, (私が見るところ、シーア派のシーア派性は、イスラム教に帰依する前に彼らが持っていたペルシャ・メソポタミアの古来の高度な宗教が、イスラムによって消化しきれずに残っているものであり、文明がなかったアラビア半島の人々は、そのような「余計な昔の迷信」が信仰に含まれないので、正統派を意味するスンニ派になった。私がこの説を言いすぎると、イスラムを冒涜しているとして殺されかねない。今のところ「空想屋」と揶揄されるだけだが), ブッシュ政権が掲げた「中東民主化」の結果としてイラクの政権転覆が行われ、それから7年たってみると、イラクがシーア派の国になるという究極の民主化が達成されている。イラクをシーア派主導に転換させ、史上初の民主体制を作ることを誘導したブッシュの中東民主化は、非常に暴力的で大量殺戮的なやり方であるが、本当に中東(イラク)を民主化したのである。, ブッシュの中東民主化は「パレスチナ(イスラエル、西岸、ガザ、ヨルダン)」を「民主化する」ことも実現しかけている。イスラエルは、イスラム勢力に囲まれ、中東和平のふりをした引き延ばし戦略しかできないほど追い込まれている。いずれ事態が再び悪化して暴発すると、最後には、パレスチナは「パレスチナ人の国」になる。イスラエル(ユダヤ人にしか主権を与えず、アラブ系を抑圧している)とか、ヨルダン(英米傀儡の王室が、国民の大半を占めるパレスチナ人を支配している)といった「民主的」でない国々は、消えゆく方向にある。この「民主化」の前に核戦争(イスラエルの核兵器200発)が起きるかもしれないという、非常に暴力的な民主化が進んでいる。, (ヨルダン国王は、1960年に政権転覆されて殺されたイラク国王の兄弟の家系。ハーシム家。ヨルダン国王の祖先は第一次大戦前、アラブ民族主義を掲げて英国のオスマントルコ潰しに協力した見返りに、英国から、ヨルダンとイラクの王家の地位をもらった。1915年に英国と「フセイン・マクマホン書簡」を交わしたフセイン・アリ), エジプトの親米の独裁ムバラク政権も、イスラム同胞団に取って代わられる可能性が増しており、これも「中東民主化」だ。これらの中東民主化は、ネオコンやチェイニー前副大統領による画策である。ネオコンの詭弁の奥の深さを考えると、この一致は偶然と言いがたい。ネオコンは、中東民主化を、非常に暴力的なやり方で、本当に実現するつもりだったのではないかと思えてくる。彼らは、隠れ多極主義者として、米英イスラエルの覇権解体や、中露の台頭も、合わせて実現するつもりだったのではないか。それらの多くが成功しつつある。, 私のこうした考え方に「それは考えすぎ」「戦争や人殺しは悪です。民主化とは全然違うものですよ」とお怒りになる「良心派」の読者が多いかもしれない。だが、左派(良心的市民運動)や右派(対米従属者)の人々が陰謀論と切り捨てて見えないようにしている間にも、イラクやパレスチナの暴力的な「民主化」や、覇権の多極化は、着々と進んでいる。, Baghdad, Iraq, Ethnic composition in 2003, Baghdad, Iraq, Ethnic composition by the end of 2009 Small, Gulf/2000 Project at the School of International and Public Affairs of Columbia University, Map Collections, Joe Biden and the False Iraq War Narrative by Gareth Porter, Battle over Afghan peace talks intensifies, Obama drops pledge on Iraq - Gareth Porter, Sadr Threatens to Leave Iran and Relocate to Lebanon, Lancet surveys of Iraq War casualties From Wikipedia. 朝日新聞掲載「キーワード」 - 新生イラクの政治体制の用語解説 - 議会制民主主義をとる共和国体制で、大統領、内閣、国民議会(定数275)で構成。いずれも任期4年。議会の権限が非常に強いのが特徴で、議会解散権、首相罷免、大統領解任の権限も議会が握る。 イラク戦争は民主主義をもたらしたのか 2003年3月のアメリカ主導によるイラク進攻からまる10年。 かつては「開戦の是非」という一大論点をめぐり世界中で激論が交わされたが、イラク戦争を回顧的に検証しなければならない今、議論の焦点は見えにくい。 (Chalabi Factor in Iraq), 英国の「権威ある」医学論文誌「ランセット」やその他のシンクタンクの概算によると、イラク侵攻後、イラク国民(2200万人)の5%前後にあたる100万人前後が死んだと言われている。この数字は、ランセットが時々やるように、政治臭が感じられるが、無数の市民が殺されたのは確かだ。 (Battle over Afghan peace talks intensifies) 新型コロナの武漢ウイルス研究所起源説をめぐる米中の確執 困惑する豪 武漢起源... パイプライン建設をめぐる関係国のし烈な駆け引き 「ノルドストリーム2」と東地中... 中国のウイグル族弾圧への批判が出てこないイスラム諸国 アーセナルのエジル選手... 「貧者の兵器」ドローンが秘める紛争の形を変える可能性 ドローン対応で「超後進... 韓国  文在寅大統領、ベトナムで「両国間の不幸な歴史に遺憾の意」表明、しかし公式謝罪ではないとも, マケドニア  EU、ロシア、さらには中国が争うバルカン半島で、EU加盟に向けた一歩, http://www.flickr.com/photos/jamesdale10/1950164657/, http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080609, http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080404. 1990年にサダム・フセイン政権のイラクがクウェート侵攻したことを受け、国連安全保障理事会は撤退を求めた。しかしフセインはそれに応じなかったため、国連安保理は武力行使容認議決をだし、アメリカを中心にイギリスやフランスなどがイラクへの攻撃を開始した。連合軍に攻撃を受けたイラク軍は100時間ほどで決着をつかれ、クウェートから撤退後もイラクは監視や厳しい経済制裁を受けた。しかし当時のアメリカ大統領ジョージ・HW・ブッシュ(父)はフセインの独裁政権がシーア派のイスラム教徒やクルド人などに対して残虐な行為を行なっていたことを知りながらも一定の安定を保っていることを知っていたため、アメリカが直接イラクの内政に介入するようなことはしなかった。 その約10年後大統領に選ばれた息子のジョージ・W・ブッシュは父とは違い、イラクに対して厳しい姿勢を見せ、イラン、イラク、北朝鮮を悪の枢軸国としてアメリカに対抗する国を容赦なく叩いた。アメリカのような自由民主主義や自由主義経済を全世界が用いれば世界の秩序は保たれるという「ネオ・コンサーヴァティヴィズム(ネオコン=新保守主義)」がブッシュ大統領をはじめとする保守派の政治家のなかで流行していた。そのような思想を持つ保守政治家にとってアメリカの意に反するような政治を行うイラクは都合が悪かった。 そんな中2001年9月11日の同時多発テロが起こり、これを絶好なチャンスと見たブッシュ政権はイラクへ宣戦布告をした。名目としては生物兵器、大量破壊兵器を持つサダム政権が国際社会にとって脅威であるとし侵攻を正当化したが、根拠はなく、実際その後の調査によって存在しなかったことが証明された。正当な理由もなく行ったイラク侵攻に対し、国際社会からも多くの批判を浴びた。ブッシュ(父)が行ったイラクへの攻撃の時のように国連安保理から議決を得ることは出来ず、アメリカがイギリスやオーストラリアなどと独自で結成した「有志連合」により侵攻が行われたことで当時の国連事務次官のコフィ・アナン氏はこれを国際法違反とした。 批判を受けつつもブッシュ政権は1ヶ月ほどで首都のバグダットに突入し、市民とアメリカ軍によってフセイン像は倒され、約30年に及んだ政権が崩壊した。フセイン政権についていた官僚や政治家、またイラク軍40万人は解雇され、暫定政権の下で初の民主主義選挙が行われたことでこのままアメリカが望んでいる自由民主主義の国家へとなっていくようにも思えた。しかしシーア派中心に作られた新政府は、フセイン政権の下についていたスンニ派の官僚やイラク軍の兵士を解雇したことで、シーア派の政権とスンニ派の元政治家や官僚、兵士の間で争いが激化した。さらにスンニ派側に周辺国からのイスラム過激派組織が加わり、2013年頃にはイスラム国が勢力を拡大したことでイラクは完全にイスラム過激派組織の支配下に置かれた。現在はイスラム国もほぼ崩壊し政府の支配力が強まってはいるが、未だに政府とそれに対抗する勢力の争いは止まない。 2003年にブッシュ大統領がテロ組織撲滅を目的にサダム政権を崩壊させたことで安定を失い、イラクはイスラム過激派組織の溜まり場と化した。さらにはシーア派の政権になったことで、イラクはスンニ派のサダム政権時には対立していたイランとの関係が良くなり、イランと対立するアメリカは中東での立場が悪化した。ブッシュ大統領によるイラク侵攻は初期段階では成功したものの、目標としていた自由民主主義国を構築する段階では失敗し、安定を失ったイラクはアメリカが望んでいたような国家にはならなかった。, SA28T9さんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog 2003年3月の米軍イラク侵攻前、イラクの首都バグダッドは、イスラム教徒のスンニ派とシーア派が混ざって住んでいる町だった。シーア派が多いのは、バグダッドに流入した貧しいシーア派の人々を集めて住ませた巨大なスラム街である北東郊外のサダムシティ(現在のサドルシティ)や、シーア派の廟カズミヤ・モスクの門前町カズミヤ(カージマイン)など、そしてスンニ派が多いのは、スンニ派のアザミヤ・モスクの門前町アザミヤなどに限られていた。その他の多くの地域が、スンニ派、シーア派、クルド人の混住だった。 イラクをシーア派主導に転換させ、史上初の民主体制を作ることを誘導したブッシュの中東民主化は、非常に暴力的で大量殺戮的なやり方であるが、本当に中東(イラク)を民主化したのである。中東民主化は、ネオコンによる画策だ。 1990年にサダム・フセイン政権のイラクがクウェート侵攻したことを受け、国連安全保障理事会は撤退を求めた。しかしフセインはそれに応じなかったため、国連安保理は武力行使容認議決をだし、アメリカを中心にイギリスやフランスなどがイラクへの攻撃を開始した。 民主主義体制を作るのは、それほどまでに難しい。様々な条件が邂逅した結果なのである。 イラクについて考えると、さらに厄介な問題が首をもたげてくる。それは、民主化がアメリカを中心とする外部アクターによって持ち込まれたという点である。 (Joe Biden and the False Iraq War Narrative by Gareth Porter), (ポーターが定期的に発表する分析の中には、今回のように根拠のある驚くべき指摘が含まれており、注目に値する)
2020 イラク 民主主義